東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4354号 判決 1978年6月29日
原告
木村美智子
右訴訟代理人
新寿夫
被告
加納直敏
右訴訟代理人
中野公夫
右訴訟復代理人
藤本健子
被告
大東京火災海上保険株式会社
右代表者
秋田金一
右訴訟代理人
三善勝哉
主文
一 被告両名は各自、原告に対し二六七万二、六八七円とこのうちの二四二万二、六八七円に対する昭和四八年九月一日から、二五万円に対する本判決言渡の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の各請求を棄却する。
三 訴訟費用は三分し、その一を原告の、その余は被告両名の負担とする。
四 この判決第一項はかりに執行することができる。
事実《省略》
理由
<前略>
第二被告保険会社に対する請求
一原告の当事者適格
1 第一で認定した原因事実によつて、原告は被告加納に対し、不法行為に基づく損害賠償金とこれに付帯する民法所定の遅廷損害金の請求権を有する。
2 <証拠>によれば、被告加納は原告に対して右損害賠償義務を履行するに足りる資力を有していないことが認められる。
3 したがつて、原告は右請求権を保全するため、被告加納に代位して被告保険会社に対し、原告主張の保険金支払を請求できる地位にある。
二保険金請求
1 本件保険契約の成立
被告保険会社を保険者、被告加納を保険契約者、本件加害車を保険の目的、対人賠償の保険金額を四、〇〇〇万円とする本件保険契約の締結があつたことは当事者間に争いがない。その他の事項は、<証拠>によれば、その保険期間は昭和四七年九月六日午後二時から四八年九月六日午後四時まで、保険金額は一事故四、〇〇〇万円、一名二、〇〇〇万円、保険料は対物賠償等の他の三つの担保種目分も合わせて七万七、一七四円となつていること、この契約手続は、<証拠>によれば、被告加納の代理権者矢島守男と被告保険会社の営業社員甲斐との間で進められて締結されたことが認められる。
2 被告保険会社の抗弁に対する判断
(一) 抗弁1について
かりに本件保険契約が事故発生ごに締結されたとしても、発生が客観的に確定している事実を保険事故とする契約が法律上当然に無効となるわけではないから、右抗弁は理由がない。
(二) 抗弁2について
本件保険契約において、「被告保険会社は保険料領収前に生じた損害について責に任じない」旨の定めがあることは原告において明らかに争わないから、自白したものとみなす。この約定は、保険者の責任開始の要件を定めたものではなく、保険者は保険期間の開始時から、その期間内に発生した交通事故について損害をてん補すべき責任を負担するものではあるけれども、保険事故の発生時までに保険料が未収であればその事故については保険者は責任を免れるという趣旨を定めたものと解すべきである。この見地からすると、事故発生時における保険料の未収はその事故にかぎつての保険者の責任阻却事由であるから、その挙証責任は責任を免れる効果を受ける側が負担すると解される。このように解することは立証責任者に対し、いわゆる悪魔の証明を強いるものではない。保険契約手続は実務的には必ず一定の書式によつてなされていて、<証拠>によれば、自動車保険申込書、契約票、保険料領収証のどれにも保険料領収日欄が設けられ、しかも<証拠>によれば、使用すべき契約票と保険料領収証は複写紙を重ね、通し番号を付した一式書類の綴りになつていて、保険料領収の有無、領収日の記録は必ず保険者側手許に残されるように配慮されているからで、責任を免れるべき場合に具える以上、そうあつてしかるべきであるということができる
そこで、本件事故時、保険料が未収であつたか否かについて判断する。
<証拠>によれば、保険申込日、保険料領収日は昭和四七年九月六日、保険期間は同日午後二時から昭和四八年九月六日午後四時まで、となつている。三通の書証の右部分は前示のとおり他ならぬ被告保険会社の営業社員である甲斐が作成したものであることは肯認されているのであるから、書証の性質からいつて、特段の事情のない限り、その記載どおりの事実を認めるのがまず当然である。以下、重要と思われる点を検討する。
(1) <証拠>によれば、甲斐は、昭和四七年一〇月一三日、保険料領収前の事故ではないかということで調査中の片柳から事情聴取を受けたさいには、昭和四七年九月七日午前九時ころ、中野支店へ、取引上の客であつた矢島の内妻から自動車保険に入りたい旨の電話があり、さらに午前一一時ころ電話で来訪の要請があつて、その内妻宅を訪ね、保険料として小切手を受領し、そのさい、矢島から保険期間を昭和四七年九月六日午後二時開始とするよう依頼され、それに従つて領収日も同日として契約を締結、帰店して夕方四時ころ精算したと答え、また、矢島は「ドス」をもつていたが脅かすような言動はなく、事故がそのときまでに発生していたということを矢島から聞かされていないし、脅かされて契約したのでもない旨断言していたことが認められる。また、証人福田有の証言によれば、当時の中野支店長であつた福田に対しても、契約したあとになつて、事故が先に起きていたということがわかつたという趣旨のことを述べたに止まることが認められる。他方、証人甲斐は矢島の内妻宅を来訪するまでの経緯については前記とほぼ同趣旨のことを述べながらも、そのあとのことについては、「ドス」を手にした矢島から、早朝発生した本件交通事故の前に自動車保険に加入できなかつたのが甲斐自身のせいであるかのように難癖をつけて嚇かされ、要求に応じないと生きては帰れないと思われる状況のなかで、矢島のいうがままに本件保険契約の手続をして番号二三九四一六五の領収証を渡し、保険料は午後から取りにくるようにというので指輪をあずかつて昼すぎ一旦帰社し、自分の手持金で保険料を支店に納入、申込者加納の押印部分は会社にあつた三文判を使つた、午後三時五〇分ころ、留守中に矢島からの電話がきていたので、夜七時ころ再訪して小切手を受領し、この小切手は後日、他の人の保険料に充てたと証言している。いわれていることを前と後でくらべてみると、問題の点、即ち、本件保険契約の手続が始まつて保険料が領収されたのは事故発生ごの同日午前九時以降である、保険料領収証は昼近く日付の記載を前日に遡らせて矢島に渡されたという点では一貫している。もし、そうだとすれば、関係書類上に不正な操作をした形跡があつてよい筈である。この種の保険契約手続では、保険料領収証は通し番号が印刷された一連の綴りが扱者毎に使用され、領収の前後を書類上に忠実に反映させる工夫や訂正があるもの、契約票との複写でないものは無効扱いとするなど不正防止の手だてが講じられているからである(乙第七号証の二、丙第一号証)。乙第七号証の二によれば、本件保険契約の前後の契約は、(領収証番号二三九四一六二・契約者栄商事・保険開始日昭和四七年九月七日・領収日九日六日)、以下、(……三・石曾根省自・四七年九月七日午前七時・九月七日)、(……四・山下満・四七年一〇月九日・九月六日)、(本件契約)、(……六・梶谷道哉・四七年九月七日午後三時、九月七日)の順になつていることが認められる。右によれば、九月七日領収の石曾根と逆順しているといえそうなのは加納のところで、ではなくて、その前の山下のところで、である。しかも、石曾根のあとで領収証綴が本当に逆順使用されたのか必ずしも定かではない。甲斐の証言によつて同人がその行動予定または結果(どれが予定でどれが結果か、あるいは行動順序がどうであつたかは記載自体では区別がつかないものであるが)を記載したと認められる乙第六号証の一によれば、石曾根の名前は九月六日欄に記載されていること、既述の石曾根の保険期間開始は九月七日午前七時であつて、保険料領収はそれに先立つている筈であるが、早朝にすぎることなどからすると、むしろ、その領収日の記載が間違つた可能性さえあるからである。領収証綴の使用され方には問題となるような不正操作の形跡をうかがうに足りない。そのほか、甲斐の行動メモの九月七日欄の右端に矢島の名前の記載があることや同日午後三時五〇分に同人から甲斐宛電話があつたということは、それ自体がもつ証明力で甲斐のいうところを補強する性質のものではない。
結局のところ、甲斐の証言自体の信用性如何というところに戻らざるをえないのであるが、日付を前日に遡らせて契約手続をしたのは、既に事故発生ごに嚇かされてしたものであるという趣旨の証言は、<証拠>に照らして、信用し難い。
(2) <証拠>によれば、被告加納は事故以前から矢島に付保手続を依頼していたが事故の数時間ごに電話で付保の有無を確認したところ、九月六日に加入していたということであつたということになる。これもまた胡散くささに不自由しないのであるが、事故発生ごの保険料領収であることを肯認させるに足りる証拠ではない。
以上、検討してきたところを総括すると、乙第四号証の一、丙第一号証等の書証を排斥せざるをえない特段の事情を明らかにするのに足りる証拠はないということになるから、本件全証拠によるも、本件事故発生時に本件保険料が未収であつたと認めるに足りない。
三よつて、被告保険会社は、原告が被告加納に代位して保険金の支払を求める請求に応ずべき理由がある。
第三結論
よつて、原告の請求は、被告加納に対し不法行為に基づく損害賠償金二六七万二、六八七円とこのうち二四二万二、六八七円に対する不法行為日ごの昭和四八年九月一日から、二五万円(弁護士費用)に対する本判決言渡日の翌日からそれぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅廷損害金の支払を求める限度で、被告保険会社に対しては、自動車保険契約に基づき右と同額の保険金(但し、二〇〇〇万円の限度で)の支払を求める限度でそれぞれ理由があるから認容し、その余の各請求は理由がないから棄却する。<以下、省略>
(龍田紘一郎)